デイビッド・ホックニーとLAの風景
1年半ぶりのLA。
と言っても、ほんの数日の滞在。
私にとっては、LAの思い出は、83年と84年の2年に渡り、夏の2ヶ月をLAオリンピックのヨットチームのボランティアサポーターとして過ごしたこと。多感な時期の夏の2ヶ月は大きい。
時代が変わっても、その土地の香りはそう変わらないもの。飛行場のワックスの香りに始まり、照り返しの強いアスファルトの香り、乾いた海風とコーヒーの香り、その香りの粒子が私の頭の中のシナプスを通って、過去の記憶をポンと思い出させてくれる。よく笑ってばかりいた10代最後の夏。
正直、LAは、私にとっては、凄く心を揺さぶられる街では無い。
食べ物も美味しいし、人も陽気で心地は良いのだけれど、何故だろう、と考えてみる。
強いて言うと、デイビッド・ホックニーの絵の様な澄んだ青空と眩しい光の影と人の構図を切り取ってみたり、夕暮れのダウンタウンは、ロバート・アルトマンを起想する無味乾燥な景色を見つけて喜んでみたり、綺麗なカップルを見つけて、ラ・ラ・ランドの歌が頭に浮かんで愉快になったり。
でも、何故か自分の想いをのせるには、LAのあまりにも大きなスケール感が不釣り合いに思えてしまう。移民たちの生んだ混沌とした人間臭いものがとても行儀よくカモフラージュされている。好きな人は、そのスケール感がきっとたまらないのだというのも、わかる気がする。
短い滞在の中で、サンタモニカとウェストハリウッドに滞在した。
わずかな時間だったけれど、記憶をキャンパスに描くなら、青い空と高層ビルやクラフィカルな看板よりも、青い空と水とパームツリーを描くだろう。
どんな思いで、デイビッド・ホックニーは、憧れの地、LAの風景をキャンバスに描いていたのだろう?イギリスからやってきた画家にとっては、衝撃的な空の色。太陽の光のせいで、人の肌の色も光っていて、女の子のタンクトップや街の壁のビビッドな色がポンと目に飛び込んでくる。今の瞬間をキャンバスに色を乗せたらどんな風に切り取れるだろう?と、画家でなくても鮮やかな絵の具をキャンバスにのせてみたくなる。
ホックニーは、どこまでも眩しい太陽と陽気な人たちに疲れたりはしなかったろうか?
その後50年以上をLAで過ごし、今も尚この地で作品を描き続けているのだから、すっかりLAローカルの画家なのだろうし、きっとこの土地の空気が好きでたまらないのだと思う。
確かに...人が悩んだり、傷ついたりするのは、過去を引きずっているからこその現象。この土地の空気の中にいると、どんなに重い過去の記憶や悲しみも、太陽が乾燥させ、粒子となって風がどこかに運んでくれる。とるに足らない傷に思えてくるのかもしれない。半年もいたら、きっと傷のかさぶたさえもわからなくなっているような、そんな気がする。
今度は、1ヶ月海沿いの街に滞在して見よう。と思った瞬間、
いや、今度は、マイアミに行ってみよう。同じ海の街。南米の入り口でもある東の海とでは明らかに文化も風も海の色も違うに違いない。
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