手放せば新しい勇気や好奇心が生まれる
友人が、ブログで、赤ちゃんが成長と共にいろいろなものに好奇心が湧いてくる過程と、
大人の観念に対しての拘りについての過程と、比較して書いていました。
赤ちゃんは、おかまいなしに、興味があるのものに夢中になり、
誤飲してしまいそうな小さいものを、無理やり大人が取り上げようとすると、
泣いて怒ったり、かえって握りしめて放さなくなけれど、
目の前に、他の興味をひきそうなおもちゃをを差し出すと、
今までのものを手放して、新しいおもちゃに夢中になると。
それが大人になった私たちは、観念に縛られている物や習慣や感情について、
がんじがらめになっていることがあります。
手放してしまえばきっと楽になるのに、と。
昨日、ある方とお話をしていて、ふと思いました。
私は、結構自分の中でも、いろいろな物や過去の感情を手放すのが割と上手になったな方
だと思うのだけれど、その基準は、「退屈」ということだな、と。
物事を長く続けられないとか、環境を変えたいと思う衝動は、
まさに「退屈」という言葉がぴったりくる。
それは、嫌いとか、嫌とか、嫌悪感とは違う、苦しい、痛いと言った極度な感覚ではなく、
ただ退屈。それは人間関係にも食べるものにも生活のあらゆることに言えることで、
無性に退屈に感じてしまったら、もう全く興味が無くなってしまう。
きっとこれは、子供の頃からそうだった様に思う。困った物だな、とも思うけれど、
一方で、でも、それでもいいのだと思う。
そんな風にしか生きられなかたのだし、その分好奇心は強くなった。退屈な時は、
何か面白いことを見つけようとするし、退屈と思った時点で、その「点」は過去のものになる。
冷たいようだけれど、実は、また他のことに興味を持って飽きたら、
また面白そうに新鮮に見えるかもしれない。
手放してもいい感情や観念も、手放して良い時を見計らって、
手放していくといいのです。そうすれば必ず、これまでとは異なる
ポジティブな出来事や出会いが心の隙間を埋めてくれるはずなのだから。
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