ファントムスレッドの深読み
きっと美しいに違いないと期待しつつ、映画「ファントムスレッド」を鑑賞。
ダニエル・デイ・ルイス演じるは、エキセントリックで、美しい初老の最高級ドレステイラー、レイノルズ役。
耽美的で偏愛的な謎めいた演技は、久しぶりに「存在の耐えられない軽さ」を
思い起こさせてくれた。
レイノルズへの淡い恋心から愛になり、母性から愛憎となる過程を演じたアルマ役のヴィッキー・クリープスは、品格のあるオートクチュールの世界の中で新たなミューズとして向かい入れられる。
田舎のウェートレスだったアルマとレイノルズの出会いで、一気にスクリーンの世界に観るものを巻き込んでいく。
アルマの素朴で好奇心に溢れる少女の様な雰囲気と、彼女の体の骨まで見通しているような、これから起こり得ることが全て想定できているような、物静かで、ミステリアスなレイノルズの雰囲気は、そのアンバランスから、観るものの好奇心を掻き立ててくれる、美しい導入部分。
あまりに期待が大きすぎ、その後、オートクチュールの世界に似つかわしくない彼女の素朴さがやけに鼻についてくる。勝手に期待をしていた、田舎娘がどんどん洗練されていく様や、屈託のない幼い愛から、愛憎の機微と変化を表現する妖艶な女の内側は、結局エンディングまで垣間見ることは「全く!?」で来なかった。
男と女の愛。時としてそれは偏愛に進化していくことも。
愛を深めるために、相手を苦しめる。
究極の肉体の苦しみとそれによって起こる愛憎の浄化。
どれほどまで人間って愛に貪欲なんだろう?
鑑賞直後に何か違和感が残り、意図しているであろう監督の演出に、あまり共感できなかったのだけれど、
一晩立って、少し考えが変わった。
確かに、もし、アルマガ美しすぎる女になる様が表現されていたなら、実は、面白くなかったのかもしれない。ただのサスペンスになっちゃうし、SとMの関係性で終始してしまいそう。
自分が捨てられると確信すると、その愛情を確認させるため、確認するために、毒を盛る。
そんな程度の低い田舎の娘のいたずらに、レイノルズが死にそうになりながら応えていく。
二人の真意を想像すると、ちょっと気持ち悪くてムカムカしてくるけれど、でも、実はそんなに重いことではなくて、当事者二人にしとっては、結構軽いノリのプレイなのかも。
そう思うと、アルマの不釣り合いな粗野で田舎くさい感じも、「なるほどね」と思える。
と思う反面、んーーーそれにしても、もう少し色香があった方が私の好みかな。
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